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瀬田の唐橋 芭蕉が詠んだ名勝地は、時代の節目となる戦の舞台

散策コース:大津(1))

日本最大の湖、琵琶湖には、周辺の多くの川から水が流れ込みますが、琵琶湖から流れ出す川は、たった1つしかありません。それは、瀬田川です。

琵琶湖は南端で幅が急激に狭まり、その先に延びる瀬田川から琵琶湖の水が南に流れ出しています。

なお、この瀬田川は、滋賀県から京都府に入ると「宇治川」と名前を変え、さらに、桂川や木津川などと合流して「淀川」になり、大阪湾へ流れ込みます。


この瀬田川の、琵琶湖からの分岐部近くに、中国風(唐風)の欄干が特徴的な橋がかかっています。

この橋が、瀬田の唐橋

現在はコンクリート製の橋ですが、欄干は木製をイメージしたやや濃い目のクリーム色に塗られています。

その姿は、すぐ南を通過する東海道新幹線の車窓からも確認することができます。

瀬田の唐橋は、日本書紀にも登場している大変古い橋で、7世紀以前にすでに存在したと考えられています。

瀬田の唐橋

また、この唐橋は、実は、大小2つの橋に分かれています。

瀬田川には細長い中州が存在するため、中州と川の両岸をそれぞれつなぐように、橋が2つに分かれているのです。

また、2つの橋は、それぞれ、中央が膨らんだ反り橋。

そのため、唐橋全体を遠くから見ると、中州を挟んだ2つの橋が、アルファベットの「M」の字に見えなくもないです。

瀬田の唐橋遠景

この唐橋のもう1つの特徴は、橋の欄干に取り付けられた、タマネギのような形をした飾り。

この飾りは、寺院や神社などの伝統的な建築物によく使われている装飾で、擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれます。

擬宝珠の近くに寄って眺めると、その側面に擬宝珠が作られた年代が刻まれていることに気づきます。

明治以降に作られたものが多いですが、江戸時代に作られたものも残っています。

年代と一緒に擬宝珠に刻まれている関係者の肩書きが「奉行」や「見廻り」などとなっており、なかなか江戸チック!

唐橋を渡りながら、「江戸擬宝珠」を探してみましょう。

琵琶湖を背にして唐橋が瀬田川をまたぐ趣のある風景は、東海道を旅する人々に強い印象を与え、古くから、この瀬田の地は名勝地としても知られています。

かの有名な「俳聖」松尾芭蕉もここで一句詠んでいます。「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋

擬宝珠

一方で、古来より、京都の東側を南北に流れる瀬田川は、東側の外敵から京を守る重要な防衛線。

この瀬田川にかかる瀬田の唐橋は、戦略上の重要拠点という側面もありました。

「唐橋を制するものは天下も制する」という言葉がありますが、これは決して言い過ぎではありません。

そのような戦としては、例えば、以下のようなものがあります。(○勝者、●敗者)

・壬申の乱(飛鳥時代)
○(東側)大海人皇子(天智天皇の弟、後の天武天皇)×●(西側)大津京の大友皇子(天智天皇の息子)

・宇治・瀬田の戦い(源平合戦)
○(東側)源範頼・源義経×●(西側)京都の木曽義仲

・承久の乱(鎌倉時代)
(東側)鎌倉幕府軍×●(西側)京都の朝廷軍(後鳥羽上皇)

瀬田の唐橋と瀬田川

さて、上の3つの戦の結果を見て、気づかれたでしょうか。そうです。全て、東から攻めた方が勝っているのです。

しかし、これは決して偶然ではないようです。

瀬田川の戦いの多くは、京を防衛する勢力(西側)と京に攻め込む勢力(東側)の戦いでした。

この場合、西側の勢力からすれば、その足下まで攻められている状況、ということになります。

また、攻められて劣勢になればなるほど士気が下がり、兵士が逃げ出して勢力が衰えることにもなります。

唐橋で戦う前から、すでに勝敗の大勢は決していた、とも言えるでしょう。


なお、瀬田の唐橋から北西に少し離れますが、義仲寺(ぎちゅうじ)というお寺があります。

ここには、宇治・瀬田の戦いで敗れた木曽義仲のお墓があります。

義仲寺には、木曽義仲のお墓と並んで松尾芭蕉の墓所もあります。松尾芭蕉は、生前、義仲公の人生に共感していたとされ、本人のたっての願いで、死後、このお寺に葬られました。

瀬田の唐橋を訪れた折りには、義仲寺にも足を延ばしてみてはいかがでしょう。

スポット情報

<瀬田の唐橋>

住所 滋賀県大津市瀬田2丁目
最寄り駅 京阪唐橋前駅から徒歩5分
JR石山駅から徒歩10分

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