薬師寺 名物管主の尽力で悲願の復興を果たした南都の大寺
薬師寺は、興福寺と並ぶ法相宗の大本山。
古都奈良において大伽藍を誇った「南都七大寺」の1つです。
この薬師寺があるのは、奈良時代の都跡である平城宮跡の西、その名も「西の京」というエリア。
薬師寺は、近隣の唐招提寺とともに、西の京を代表する二大名所として知られています。

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妻の病気平癒を願って建てられた、天武天皇の勅願寺
奈良時代の都、平城宮跡のそばにある薬師寺ですが、その創建は奈良時代よりも古く、白鳳時代にさかのぼります。
当時の天皇は天武天皇。
この天武天皇が、妻(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して発願し、造営が開始されたのが薬師寺。
ただ、天武天皇の勅願事業であったのですが、造営中に、肝心の天武天皇は崩御してしまいます。
皮肉にも、その事業は「病気平癒を祈られていた側」の持統天皇が引き継ぐことになりました。
なお、その寺名が示す通り、薬師寺のご本尊は薬師如来。
薬師如来は、一般には医薬の仏さまとして知られています。
貴人の病気平癒で建立されたお寺では、本尊が薬師如来であるところが多いですが、薬師寺はその代表例です。

その後の荒廃と名物管主による復興
創建当初の薬師寺は、持統天皇が造営した藤原京の中にありましたが、平城遷都に伴い今の地に移転。
当時の南都の主要寺院の1つであり、興福寺や東大寺などとともに「南都七大寺」と呼ばれました。
しかし、中世以降は兵乱などにより主要な建物が次々失われ、次第に寺勢が衰えていきます。
極めつけは戦後。仮金堂の横に、東塔がポツンと立つ寂しい境内だったそう。
この状況を一変させたのが、高田好胤という管主(住職)さん。
高田好胤師は、小難しい仏教の世界をわかりやすい語り口で説明するなど、一般の方にも人気の「名物管主」。
薬師寺の管主につくやいなや、長年の悲願であった薬師寺復興を推し進めます。
その尽力により、金堂、西塔、中門、回廊、大講堂と、主要な建物が次々と再建。
往年の「南都七大寺」の名にふさわしい大伽藍ができあがりました。

朱色の大建築が立ち並ぶ、現在の薬師寺境内
薬師寺の中心は、境内南側に立つ白鳳伽藍。
金堂や西塔など、近年再建された朱色の大建築が建ち並ぶ様は「壮観」の一言。
境内の北側には、玄奘三蔵院伽藍。
また、今も伽藍の整備が続けられており、平成29年には食堂の復元が完了しました。
では、白鳳伽藍を中心に、現在の薬師寺の境内をご紹介していきましょう。
<白鳳伽藍>
薬師寺創建年代である、白鳳時代(飛鳥時代後期~奈良時代)の建築様式で統一された建物群。
南の中門をくぐると、正面に金堂、金堂手前、右と左に立つ東塔・西塔、金堂の奥に大講堂、という伽藍配置。
また、金堂、東塔、西塔は、朱色の回廊によってぐるりと囲まれています。
東の回廊の外には、東院堂。
また、大講堂の背後に、近年再建された食堂(じきどう)が新しく加わりました。

(金堂)
金堂は、1976年の再建。
昭和期復興の第1号で、白鳳伽藍整備の先駆けとなった建物です。
建物こそ新しいものの、中には大変貴重な仏像が安置されています。
それは、薬師寺の本尊、薬師三尊像。
製作年代は薬師寺創建時という説もある仏さま。白鳳期仏像の最高傑作の1つとされます。国宝指定。
中央に薬師如来、左右には脇侍の日光菩薩と月光菩薩。
三体ともふくよかな体つき。仏さまなのに「人体美」をも感じさせます。

(東塔と西塔)
東塔と西塔は、ほぼ同じ形をした三重の塔。
ただ、屋根の下に裳階(もこし)と呼ばれるひさしがついているため、六重の塔にも見えます。
また、三重塔ながら、他のお寺の五重塔に匹敵する高さです。
東塔(下の写真右側)は、移転以来、唯一残る奈良時代の建築物。国宝指定。
ただし、残念ながら、現在は解体修理中(平成21年~平成32年春まで)。
今は、塔全体がカバーですっぽりと覆われているため、外から見ることはできません。
一方の西塔(同左側)は、1981年の再建。東塔とほぼ同じデザインの塔です。
再建されて30年以上を経たとはいえ、東塔と比べると格段に新しい西塔は、朱色の鮮やかさが印象的です。
なお、西塔は東塔よりも少し高く作られているとのこと。
自重による地盤の沈下と木部の収縮によって、塔の高さが変化することを想定。
500年後に、東塔と高さがほぼ一緒になるように設計されているそうです。
東塔の修理が終わり、東西の両塔を同時に眺められる日が待ち遠しい限りです。

(大講堂)
金堂の背後にどっしりと構える大きな建物が大講堂。2003年の再建です。
現在の薬師寺の中で最も大きい建物で、横幅が41mもあります。
大きな大講堂の中に置かれている仏さまも、また巨大。しかも3体。
3体の仏像は、はじめは「阿弥陀(あみだ)三尊」と呼ばれ、次には、金堂のご本尊と同じ名前の「薬師三尊」と呼ばれました。
現在は「弥勒(みろく)三尊」と呼ばれています。
しかし、本来、阿弥陀(如来)、薬師(如来)、弥勒(如来・菩薩)は、それぞれ異なる仏さまのはず。
いったい、この仏さまは何者?!1つの仏像の呼び名がこのようにコロコロ変わるのは珍しいです。

(東院堂)
白鳳伽藍の回廊の外(東側)にあるお堂。
近年再建された建物が多い中、この東院堂は、東塔とともに昔から残る貴重な文化財。
東塔と比べると建築年代は新しく、鎌倉時代の建物ではありますが、国宝に指定されています。
また、東院堂内の聖観音菩薩像は、金堂の薬師三尊像と同じく白鳳期の作。こちらも国宝指定。
なお、東院堂は、解体修理中の東塔の裏側で、さらに回廊の外という、目立たないところにあります。
回廊内の金堂や西塔に気を取られて東院堂を見逃さないよう、ご注意ください。

(食堂)
2017年(平成29年)に再建された、薬師寺の中で最も新しい建物。
その名の通り、元々はお坊さんが食事をする場所です。
南都七大寺の1つにも数えられた薬師寺、昔の食堂は、300人もの僧侶を収容できる大きな造りであったそうです。
再建された新しい食堂も、薬師寺の中では、大講堂、金堂に次ぐ大きな建物。
ただ、広々とした内部空間は、「僧侶の食事場所」というイメージからは、かなりかけ離れています。
堂内中央には、色彩鮮やかな「阿弥陀三尊」の絵、周囲の壁には、唐より大和に仏教が伝わる様子が一面に描かれています。
(平成30年6月30日まで、食堂の内部特別拝観を実施中)

<玄奘三蔵院伽藍>
白鳳伽藍と道を挟んだ境内の北側部分に立つ建物群。1991年(平成3年)の建築です。
中央の玄奘塔を回廊が取り囲む伽藍配置。
八角形の夢殿を中心とする、法隆寺東院伽藍に似た印象も受けます。
真ん中の玄奘塔には、玄奘三蔵の頂骨が祀られています。
なお、玄奘三蔵とは、物語「西遊記」に登場する「三蔵法師」のこと。
薬師寺の法相宗とのゆかりが深い中国(唐)の名僧です。
玄奘三蔵院伽藍の見どころはもう1つ、玄奘塔の北側の建物にある「大唐西域壁画」。
平山郁夫が30年がかりで製作したという、高さ2.2m、長さ49mの巨大壁画です。

朱色の建物が美しい白鳳様式の新しい伽藍と、白鳳期に作られた貴重な仏像。
新旧の両面で「いにしえ」の白鳳文化が感じられる広い境内、時間を十分にとってじっくりと巡ってみたいお寺です。
(参考出典:薬師寺公式サイト)
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スポット情報
<薬師寺>
住所 | 奈良市西ノ京町457 |
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最寄り駅 | (近鉄橿原線)西の京駅下車すぐ |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時、無休 |
拝観料 | (玄奘三蔵院伽藍公開時)大人1100円 中高生700円 小学生300円 (玄奘三蔵院伽藍非公開時)大人800円 中高生500円 小学生200円 (玄奘三蔵院伽藍の公開時期については、下記ホームページ参照) |
ホームページ | 薬師寺公式サイト |
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