比叡山延暦寺(1) 数多くの名僧たちが若き日に修行した、天台宗の総本山
京都市と滋賀県大津市の間には、比叡山という山があります。
比叡山は、京から見て鬼門の位置(北東)にあり、古くから、京を災いから守る「王城鎮護」の山とされてきました。
この比叡山にあるのが、天台宗の総本山である、延暦寺。
比叡山に延暦寺があるというよりは、「比叡山=延暦寺」といった方が正しいですね。比叡山全体が「延暦寺の境内」です。
今回は、延暦寺について、その歴史を中心にご紹介しましょう。
(延暦寺の見どころについては、比叡山延暦寺(2)参照)。

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多くの名僧を輩出した天台宗総本山
天台宗は、平安時代、最澄(伝教大師)が開いた宗派。
法華経を中心に、密教、坐禅、戒律を合わせた、「四宗兼学」が特徴です。
当時の先端学問とも言える4つの教え(法華経、密教、坐禅、戒律)を一度に学べたことから、全国から優秀な人材が集まりました。
当時の延暦寺は、現代の「総合大学」に例えられることもあります。
延暦寺で仏教を学ぶ僧の中には、修行をするうちに仏教に対する独自の考えを持つ者が出てきます。
そのような僧の一部は、比叡山を下りて新たな宗派を開きました。
例えば、浄土系の法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)や、禅宗(臨済宗)の栄西など。
後年、新しい仏教宗派を開いた名僧たちも、若い頃には延暦寺で厳しい修行を行ったのです。
比叡山内には、今も、名僧たちが修行した地が残されています。

朝廷に恐れられた「北嶺」の荒くれ僧兵たち
一方で、延暦寺は、平安時代から、鎌倉、室町時代にかけて、荒くれ者の僧兵たちを数多く抱えたお寺でもありました。
その武力はそこら辺の武士たちをしのぎ、「一大武力集団」と化した延暦寺。
僧兵たちが山からぞろぞろと下りてきて強訴することもしばしば。
南都(奈良)の興福寺とともに「南都北嶺」と呼ばれ、京の朝廷を悩ませました。
逆に、その長い歴史の中で、この延暦寺の武力を利用しようとする者も現れます。
歴代天皇も例外ではありません。
例えば、鎌倉幕府を倒したことで知られる後醍醐天皇。
倒幕のために自分の息子(護良親王、宗良親王)を天台座主(延暦寺のトップ)に送り込み、味方に引き入れようとしました。
信長の叡山焼き討ちとその後の再興
しかし、戦国時代に入るとこの武力が災いします。
京を抑えた織田信長と対立し、全山「焼き討ち」されてしまいました。
この叡山焼き討ちで、延暦寺のほぼ全ての伽藍が焼失します。
存亡の危機を迎えた延暦寺、その後、豊臣家や徳川家の援助を受けてなんとか再興。
「もうこんなことはこりごり」と、当時のお坊さんが思ったかどうかは分かりませんが、その後は力を誇示するようなことはなくなりました。

現代では、伝統ある天台宗の総本山として、また数多くの名僧を輩出した「日本仏教の聖地」として、仏教界の大きな存在であり続けています。
比叡山延暦寺(2)では、山内の主要伽藍など、延暦寺の見どころについてご紹介します。
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スポット情報
<比叡山延暦寺>
住所 | 大津市坂本本町4220 |
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最寄り駅 | (坂本ケーブル)延暦寺駅から徒歩10分 (叡山ケーブル・ロープウェイ)比叡山頂駅から徒歩30分、または、比叡山内シャトルバスで5分 |
巡拝時間 (東塔エリア) |
(3月~11月)午前8時30分~午後4時30分 (12月)午前9時~午後4時 (1月~2月)午前9時~午後4時30分 |
定休日 | 年中無休 |
巡拝料 | (東塔・西塔・横川共通券)大人:700円 中高生500円 小学生300円 (国宝殿拝観料)大人:500円 中高生300円 小学生100円 |
ホームページ | 比叡山延暦寺 |
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