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二条城 太平の世には不要?幕府の始まりと終わりに脚光を浴びたお城

散策コース:京都(2))

室町時代以降の京都には、「二条」という名の城郭がいくつも築かれています。

足利将軍の城。京に上洛した織田信長が築いたお城。その後に天下を握った豊臣秀吉の城郭。そして、徳川家康が建てた「二条城」。

現在残る二条城は、最後に挙げました「徳川幕府の二条城」。

都の中の平坦な地に建てられた、いわゆる「平城」で、その周囲を外堀でぐるりと囲まれています。

この二条城が建てられたのは、関ヶ原の戦い(1600年)の3年後の1603年のこと。

この時期は、江戸幕府が成立した直後で、京の朝廷や大坂城の豊臣家へのにらみを利かせる必要があり、二条城の利用価値は大変高いものでした。

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二条城

実際、二条城で、徳川家康と、秀吉の遺児である豊臣秀頼とが対面していますし、大坂城を攻め立てた「大坂の陣」では幕府側の出撃拠点となりました。

しかし、豊臣家が滅亡して太平の世が訪れると、二条城の重要度は急低下します。

江戸時代の初期に三代将軍家光が入城してからは、200年以上もの間、二条城には将軍が入城することもありませんでした。

つまり、二条城は、京という重要な場所にありながら、江戸時代(265年間)のほとんどの期間、歴代将軍に「放置」されて続けていたのですね・・・。


さて、この二条城が、再び脚光を浴びたのは、幕末の動乱期です。

この時期までに、260年続いた幕府ですが、組織としては、末期症状を呈していました。

一方で、京には「幕府打倒」を叫ぶ過激思想の志士が多数出没し、不穏な空気が漂っておりました。

この情勢を憂い、久々に江戸から京へ将軍がやってきたものの、状況は好転せず。逆に、薩摩藩・長州藩などの有力藩による倒幕の企てが進行、状況はますます悪化します。


抜き差しならぬ状況を悟った第15代将軍徳川慶喜は、ここ二条城にて、朝廷に政権を返す「大政奉還」を決意したのです。

ただ、この徳川慶喜の決断もむなしく、徳川家を中心とする旧幕府勢力は、その後の戊辰戦争で明治天皇を奉じる新政府軍に敗北。

「大政奉還」という歴史上の一大イベントを皮切りに、日本は、幕府による支配から明治天皇の新政へと、大きく転換することになりました。

二条城内堀

さて、二条城の歴史についてはこれぐらいにしておきまして、次は、今日の二条城の見どころスポットについてご紹介しましょう。

二条城の城内には、二の丸本丸という、2つのエリアがあります。


<二の丸>

二の丸は、お城の正門(東大手門)をくぐった先に広がるエリア。

一般的なお城では、本丸がメインエリアであることが多いです。

しかし、この二条城においては、二の丸が本丸よりも先に作られたこともあり、歴史的、および、文化財的にも重要なエリアとなっています。

二の丸の中心は、6棟の建物が斜め(雁行形)に並ぶ、二の丸御殿。三角形の屋根が連なる外観はかなり特徴的です。

城主の住居である御殿が残っているお城は日本でも数少ないのですが、それらの中でも、この二条城の二の丸御殿はその規模や意匠の精巧さなどの点で特に貴重です。国宝にも指定されています。

御殿内には33もの部屋があります。それぞれの部屋には畳が敷き詰められ、狩野派の画家が描いた見事な障壁画が残されています。

また、二の丸御殿の見どころの1つが、将軍が諸大名と謁見する場である、大広間

この大広間は、幕末の大政奉還の舞台となった場所でもあります。

上段の「一の間」には将軍が腰を下ろし、下段の「二の間」には諸大名がずらりと並ぶ、当時の様子が再現されています。

二の丸御殿

二の丸御殿の隣には、江戸時代の有名な作庭家、小堀遠州によって作られたとされる二の丸庭園が広がります。

二の丸庭園は、3つの島が浮かぶ庭園中央の周囲をぐるりと巡る、池泉回遊式の庭園です。

御殿内の異なる場所からそれぞれ眺められることを想定して作られているそうです。

ということで、いろんな方向から中央の池を眺めてみましょう。見る角度によって違った印象を受けますよ。

二の丸庭園

<本丸>

本丸は、周囲を内堀によって囲まれた、ほぼ正方形のエリア。

この本丸には、本丸御殿(国重要文化財指定。内部は非公開)があります。

なお、この建物は、徳川時代に建てられたものではありません。京都御苑にあった桂宮邸を、明治時代に移築したものです。

先に紹介しました二の丸は、歴史的な雰囲気はあれど、やや地味な感があるのですが、本丸はこれとは対照的。

本丸御殿の周囲に、青々とした芝生が美しい本丸庭園が広がる景色には「開放感」と「明るさ」が強く感じられます。

本丸

この本丸の西南隅には天守閣跡があります。

ここには、伏見城から移築された五層の天守が建てられていたそう。

残念ながら、この天守は、江戸時代中期に、落雷により焼失しており、今はありません。

その頃は、二条城の重要度は高くなく、また、幕府の財政に余裕がなかったこともあって、焼失後に天守が再建されることもありませんでした。

現在は天守の基礎であった天守台だけが残ります。

この天守台には登ることができます。ちょっとした高台になっていることから、城内のいろいろな場所をここから眺めることができますよ。

本丸天守台からの景色

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スポット情報

<二条城>

住所 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
最寄り駅 (地下鉄東西線)二条城前駅から徒歩すぐ
(JR線)二条駅から徒歩10分
開城時間 午前8時45分~午後4時(閉城午後5時)
(二の丸御殿観覧時間:午前9時~午後4時)
休城日 年末年始(12月26日~1月4日)
毎年12月、1月、7月、8月の毎週金曜日
入城料 大人600円 中高生350円 小学生200円(京都市内の小中学生は入城無料)
ホームページ 元離宮二条城

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