西大寺 父・聖武の東大寺に対抗?女帝・称徳天皇勅願の「南都七大寺」の1つ
平城宮跡の西に位置する西大寺は、真言律宗の総本山。
また、東大寺などとともに「南都七大寺」と呼ばれた、古都奈良の歴史ある寺院の1つです。

西大寺の最寄り駅は近鉄電車の大和西大寺駅で、駅からお寺までは徒歩すぐ。
なお、大和西大寺駅は、大阪(難波)、奈良、京都、橿原・吉野方面へアクセスできる要衝で、奈良県の中心的な駅の1つ。
関西にお住まいなら、駅名ぐらいは聞いたことがある、という人も多いかと思います。
ただ、お寺としての西大寺は、有名寺院が多い奈良の中ではちょっと影が薄い感じ。
そこで、今回は、西大寺とはどんなお寺なのか、ご紹介していきたいと思います。

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父・聖武の東大寺と娘・称徳の西大寺
西大寺の創建は奈良時代後期。
称徳天皇(孝謙天皇)の発願で四天王像が造立されたことにより始まる、いわゆる「勅願寺」です。
なお、称徳天皇は、聖武天皇の娘で、二度も即位(重祚)した女帝です。
奈良時代には、朝廷による「官立」寺院が数多く建てられましたが、西大寺もその1つです。
称徳天皇の父である聖武天皇は、東大寺を平城宮の東に建立した天皇。
娘・称徳の西大寺は、そのお寺の名前からしても、父・聖武の東大寺を意識して建てられたようですね。
実際、創建直後の西大寺は、広大な敷地に立派な伽藍が立ち並ぶ大寺院だったそう。
東大寺の他、興福寺や薬師寺などとともに、「南都七大寺」と呼ばれ、朝廷によって手厚く保護されました。
しかし、平安時代には、度重なる災害によって伽藍が失われ、西大寺は次第に衰退します。
すぐ近くに都があった奈良時代と違い、朝廷の後ろ盾が得られず復興が難しかったのも一因でしょう。

西大寺中興の祖、叡尊上人
平安時代に荒廃した西大寺ですが、その次の鎌倉時代になると、叡尊(えいそん)というお坊さんによって再興されます。
叡尊上人は、戒律(仏教徒が守るべき規範)を重視した教えを説き、西大寺を拠点として活動した僧侶。
当時のインフラ整備(例えば、宇治橋の修繕)や貧民の救済などを積極的に行ったことでも知られます。
この叡尊上人の活躍によって、西大寺は活気を取り戻し、伽藍も次第に整備されていきます。
室町時代以降も火災などで伽藍を失うものの、その都度復興。
西大寺は、「中興の祖」叡尊上人の教えを守り続けるお寺。現代では、叡尊を開祖とする真言律宗の総本山です。

現代の西大寺の中心は、本堂・四王堂・愛染堂
さて、現代の西大寺は、創建時からは小さくなったものの、今も中規模の伽藍を維持する寺院です。
では、西大寺の主要三堂について、順にご紹介していきましょう。
<本堂>
本堂は、現在の西大寺の中心的なお堂。
江戸中期の宝暦年間、あるいは、後期の文化年間の建築とされています。国の重要文化財指定。
昔からの伝統的な建築様式を踏襲した造りの建物。
ただ、正面だけでなく側面など他の壁も全て板壁になっているのが大きな特徴です。
また、華美な装飾はありませんが、柱の間の蟇股(かえるまた)など所々に美しい彫刻が施されています。

本堂内の中央には、西大寺ご本尊、釈迦如来立像が安置されています。
この仏像は、叡尊上人の中興時期に、京都嵯峨の清涼寺(嵯峨釈迦堂)のご本尊、国宝「釈迦如来像」を模して作られたもの。
平たくいえば「コピー」の仏像なのですが、コピー時期が古いこともあり(1249年)、文化財的な価値は高いです。国の重要文化財指定。
清涼寺でご本尊を拝んだことのある方なら、立ち姿、表情、服装など、よく似ていることに気づかれることでしょう。
ご本尊のお釈迦さまの右側には大きな弥勒菩薩坐像、左側には文殊菩薩像が置かれています。
特に、文殊菩薩は、四人の脇侍(従者)を従えた「文殊五尊像」の形式で、鎌倉時代の逸品。
文殊さまの右前に立つ、善財童子(ぜんざいどうじ)の可愛らしい表情が印象的です。

本堂の拝観を終えたら、縁側から降りる前に正面を眺めてみましょう。
目の前に大きな基壇が見えます。これは、西大寺創建時に存在した、五重の東塔の基壇跡。
現在の基壇サイズでも十分大きく感じられますが、創建当時はより巨大な七重塔として計画されていたそうです。
ただ、「財源不足」のためそんな大きなものを建てられなくなり、五重塔に変更されたという逸話が残ります。

<四王堂>
四王堂は、四天王像を安置するお堂。江戸時代前期、1674年に再建された建物です。
四天王は、東の持国天、南の増長天、西の広目天、そして、北の多聞天の総称で、須弥山(しゅみせん)の四方を守護する神です。
西大寺は、もともと四天王像の安置のために創建されたお寺。つまり、四王堂は、創建からの歴史を汲む、由緒深いお堂です。
現在の四王堂内にある四天王像は、創建時のものではなく鎌倉時代に作り直されたもの。国の重要文化財に指定されています。
また、四天王のごつい足に踏みつけられちょっと苦しそうな顔をした、足下の邪鬼にも注目です。
この邪鬼は、奈良時代の西大寺創建当時のものとされています。
四王堂内には、四天王像の他に、十一面観音立像が安置されています。こちらも国の重要文化財。
この十一面観音はとんでもなく大きな像で、左右の四天王を従えるように中央にどーんと立っています。
その大きさに、拝観される皆さん、目が釘付け。
十一面観音像に気をとられて四天王像を見るの忘れちゃった、なんてことにならないように、お気を付けください。

<愛染堂>
愛染堂は、愛染明王像を安置するお堂。
もとは京都の旧近衛家の邸宅で、江戸時代中期に移築されました。
中央に安置されるご本尊、愛染明王は、小柄ながら、こちらをにらみつける怖いお顔と6本の腕、そして、「真っ赤」な体が印象的。
ただ、この明王さまは、普段は厨子に納められた「秘仏」。
特定の時期(例年、1月中旬~2月初旬と10月下旬から11月中旬)のみの開扉となります。
開扉時期以外は、ご本尊の代わりに「お前立ち」の明王さまがお立ちになります。
愛染堂では、堂内左側に安置されている、叡尊上人坐像もお忘れなく。
この像は、叡尊上人がまだ存命の頃、80歳のときに弟子たちに作らせたもの。
生前の叡尊上人のお姿、お顔を今に伝える貴重な像で、2016年には国宝に指定されました。

そのほか、西大寺は、「お茶盛式」の行事でも知られます。
巨大なお茶碗に点てられたお茶を両脇の人に助けられながらいただく恒例行事。
テレビのニュースでも紹介されることも多いのでご存じの方も多いのでは。
お茶盛式は、年始、春の4月、秋の10月の3回行われます。
(注)お茶盛式は団体(30人以上)での参加のみ。また、事前予約が必要です。
西大寺の境内は広すぎず狭すぎず、散策するのにちょうどよい適度な広さ。
また、四王堂の前には池が広がり緑も豊かです。
大きな東塔の基壇跡を眺め、このお寺の長い歴史を感じつつ、名宝残る三堂を巡ってみてはいかが。
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スポット情報
<西大寺>
住所 | 奈良市西大寺芝町1-1-5 |
---|---|
最寄り駅 | (近鉄)大和西大寺駅から徒歩3分 |
拝観時間 | (本堂・四王堂)午前8時30分~午後4時30分 (愛染堂・聚宝館)午前9時~午後4時30分 |
定休日 | 年中無休 聚宝館の開館は期間限定(1/15~2/4、4/20~5/10、10/25~11/15) |
拝観料 | (本堂)一般・大学生400円 高中生350円 小学生200円 (四王堂・愛染堂・聚宝館) 一般・大高中生300円 小学生200円 全てのお堂を回る場合は「諸堂拝観共通券」がお得 (聚宝館開館期間)1000円で4堂(本堂・四王堂・愛染堂・聚宝館) (それ以外の期間)800円で3堂(本堂・四王堂・愛染堂) |
ホームページ | 真言律宗総本山西大寺 |
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