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西本願寺 参拝者を圧倒する、巨大で豪壮な阿弥陀堂と御影堂

散策コース:京都(1))

西本願寺は、京都の堀川六条にある、浄土真宗本願寺派の本山。

正式名称は「本願寺」。

西本願寺という名前は東本願寺(真宗大谷派)に対する通称なのですが、一般にも広く定着していますね。

今回は、この西本願寺についてご紹介します。

ただ、その前に、少し予備知識を持っていただくためにも、浄土真宗と本願寺の歴史について簡単にご説明しようと思います。

西本願寺

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<浄土真宗とは?>

浄土真宗は、鎌倉時代の僧、親鸞を宗祖とする仏教宗派です。信者数(門徒数)は数ある宗派の中でもダントツで、1300万人とも言われています。

この浄土真宗の中でも最大の門徒数を誇るのが本願寺派です。

浄土真宗の大きな特徴としては、「他力本願」の教義が挙げられます。

「他力本願」の「他力」は阿弥陀如来のはたらき、「本願」は「すべての人々を救って仏と成らせよう」という阿弥陀如来の願いをそれぞれ指します。

つまり、「他力本願」は、阿弥陀如来の願いを実現させるはたらきを意味しています。

(出典:西本願寺「浄土真宗のみ教え」


浄土真宗の教えを、誤解を恐れずに簡潔に述べるとすれば、
「どんな人も阿弥陀如来を信じさえいれば、阿弥陀如来の絶大なる本願力によって救われる」
ということでしょうか。

なお、現代では、「他力本願」という言葉は、「自分は努力することなく他人の力を利用して成果を出す」という意味にも使われます。

しかし、浄土真宗における「他力本願」はこのような意味ではありませんので、誤解なきようご注意ください。


<本願寺の歴史>

現代では浄土真宗と呼ばれるこの宗派、古くは「一向宗」と呼ばれておりました。

一向宗が歴史の表舞台に登場するのは戦国時代。この時代、一向宗の門徒たちは日本の各地で戦国大名と激しく対立します。

特に、織田信長との間では、大坂の石山本願寺を巡って10年にもわたる抗争を繰り広げました(石山合戦)。

石山合戦は信長との和解によって終結しますが、和解の条件として本願寺は石山を退去することになり、本拠を失ってしまいます。

この石山本願寺があった場所には、その後、信長の後を継いだ豊臣秀吉により、巨大な大坂城が築かれました。

現在の大阪城公園には、石山本願寺跡を示す石碑が立てられています。

石山の地に大坂城を築城する一方で、秀吉は、本願寺に対して京都の堀川六条の地に寺領を寄進します。

これにより、本願寺は、京都の新たな地において再興を果たします。これが西本願寺の始まりです。

その後、東本願寺の分裂があったものの、西本願寺は今も浄土真宗内での大きな存在であり続けています。

石山本願寺跡(大阪城公園内)

<西本願寺の見どころ>

浄土真宗と本願寺についてざっとご説明したところで、次に、現在の西本願寺についてご紹介しましょう。

南北に延びる堀川通りに面した御影堂門、あるいは、阿弥陀堂門をくぐると、その先に、左右に並ぶ巨大な2つのお堂が目に入ります。

2つのお堂とは、右の阿弥陀堂(あみだどう)と左の御影堂(ごえいどう)。

境内中央にどっしりと座る、豪壮な造りの2つのお堂は、門をくぐり抜けた参拝者を圧倒します。

これほど大きな造りになっているのは、本願寺派の門徒数が多いことが理由の1つに挙げられます。

特に重要な行事が行われるときには、各地から大勢の人が西本願寺を訪れますが、お堂のサイズが小さいとほんの一部の人しか参拝できなくなりますからね。

西本願寺境内

(阿弥陀堂)

阿弥陀堂は、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来像が安置されたお堂。西本願寺の中で最も重要なお堂で、他の寺院における「本堂」にあたります。

現在の阿弥陀堂は江戸中期(1760年)に再建されたもので、国宝に指定されています。

入母屋造り、本瓦葺きの大きなお堂には、約800名以上を一度に収容できます。

阿弥陀堂

(御影堂)

御影堂(ごえいどう)は、宗祖親鸞聖人の御影を安置するお堂で、重要な行事があるときに使用されます。

江戸初期(1636年)に建てられたもので、阿弥陀堂と同じく国宝に指定されています。

阿弥陀堂と同様、入母屋造り、本瓦葺きの建物ですが、阿弥陀堂よりもさらに大きい造りです。こちらは1200名もの人数を一度に収容できるそうですよ。

なお、他の宗派の本山では、宗祖の像(御影)を祀る「御影堂」を、「みえいどう」(浄土宗の知恩院など)、あるいは、「みえどう」(真言宗の高野山金剛峰寺など)と呼ぶこともあります。

しかし、浄土真宗では「ごえいどう」と呼ぶのが一般的です。

御影堂

<その他の貴重な建築物>

国宝の阿弥陀堂と御影堂以外にも、西本願寺には貴重な建物が多く残されています。


(唐門)

まずは、境内西側にある唐門。「唐門」とは、昔の木造門の一種で、湾曲した意匠の「唐破風」が屋根の上にある門のことです。

西本願寺の唐門は、豊臣秀吉の伏見城の遺構と言われています。

400年を経ても色あせない鮮やかな色彩で彩られた、様々な動物の精巧な彫刻が見事な門。国宝指定です。

また、この唐門には、日が暮れるのを忘れるほど見とれてしまう門という意味から、「日暮門」の異名があります。

なお、唐門は、西本願寺の境内側からだけでなく外側からも眺めることができます。

ただし、唐門は普段閉ざされていて通ることはできないため、唐門を外側からも眺めるには、境内を一度出てぐるっと外へ回る必要があります。

唐門

(太鼓楼)

西本願寺の境内北東角には、「太鼓楼」と呼ばれる2層の建物があります(国の重要文化財指定)。

これは、太鼓を打って時を知らせるための櫓で、現在でも、上層には昔の太鼓が置かれているそうです。

また、この建物は、新撰組とのゆかりが深い場所としても知られます。

新撰組は、京都の治安維持の一端を担った、佐幕派(幕府支持派)の一組織。

幕末の一時期、新撰組は、対立する尊皇派(倒幕派)に近い関係にあった西本願寺に、あえて屯所(活動拠点)を置いていました。その際に新撰組の隊士がこの太鼓楼を使用していたそうです。

なお、太鼓楼は、境内の阿弥陀堂や御影堂のある場所とは仕切られており、境内から太鼓楼へ直接行くことはできません。一度、門を出て境内の外側から訪れましょう。

太鼓楼

(飛雲閣・書院)

その他、境内南東に立つ三層の飛雲閣と、御影堂に隣接して広がる書院も、それぞれ貴重な建築物です。共に国宝に指定されています。

飛雲閣は、豊臣秀吉が京都に造営した聚楽第の遺構と伝えられるもので、金閣寺の「金閣(舎利殿)」、銀閣寺の「銀閣(観音堂)」とともに「京の三名閣」と呼ばれます。

書院は、江戸時代初期の建築。書院には203枚もの畳がひかれた対面所があります。広さだけでなく格式の高さにも圧倒されます。

飛雲閣と書院は普段は公開されていませんが、平成28年秋~29年春の「伝灯奉告法要期間」に合わせて公開されていたように、特別に公開されることがあります。

そのような機会には、ぜひ訪れてみてください。

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スポット情報

<西本願寺>

住所 京都市下京区堀川通花屋町下ル
最寄り駅 (JR・近鉄・地下鉄)京都駅から徒歩10分
(地下鉄)五条駅から徒歩12分
拝観料 無料(境内拝観自由)
拝観時間 (5月~8月)午前5時半~午後6時
(3,4,9,10月)午前5時半~午後5時半
(11月~2月)午前5時半~午後5時
ホームページ 本願寺(西本願寺)

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