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東本願寺 幕末の「どんどん焼け」から復活した「お東さん」

散策コース:京都(1))

京都には、ともに「本願寺」と名のついた大きなお寺が2つあります。

1つは、西本願寺。そして、もう1つが、今回ご紹介する東本願寺

ともに、親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗に属する宗派の本山寺院です。


東本願寺は、浄土真宗の一宗派、真宗大谷派の本山。西本願寺のちょうど真東の位置、烏丸七条にあります。

東本願寺という名称は、本願寺(西本願寺)の東にあることによる、いわゆる通称で、正式名称は「真宗本廟」といいます。

浄土真宗の中では、西本願寺が「お西さん」と呼ばれるのに対して、東本願寺は「お東さん」と呼ばれることもあります。

東本願寺

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<本願寺の分裂と東本願寺の創建>

西本願寺と東本願寺は、元をたどれば、同じ「本願寺教団」。

戦国時代に、十一世宗主の顕如によって率いられた本願寺は、織田信長と激しく対立しましたが、その後の豊臣・徳川の時代に東西に分裂しました。

西本願寺のところでも述べましたが、本願寺は、織田信長との和解の際に、本拠である石山(大坂)の地を明け渡し、諸方を転々としておりましたが、豊臣秀吉による寺領寄進を受けて京都で再興します。

このとき、十一世顕如の長男の教如というお人は、弟の准如に本願寺宗主の座を奪われ、豊臣時代には不遇をかこっておりました。

しかし、秀吉が亡くなった後に権力を握った徳川家康が、この教如に対して寺領を寄進したことで、教如は新たな「本願寺」を創建します。

これが東本願寺の始まりです。

なお、家康による寺領寄進は、教如を独立させることで、多くの門徒を擁する本願寺教団を分裂させてその勢力を削ぐことが目的であった、とも言われています。


<伽藍焼失を繰り返した苦難の江戸時代>

さて、このような経緯で江戸時代初期に成立した東本願寺ですが、江戸時代には何度も大火に見舞われ、その度に伽藍焼失の憂き目にあっています。

特にひどかったのは、幕末に発生した禁門の変(蛤御門の変)による大火。

この変では、天皇のおわす御所(京都御所)への乱入を企てた長州藩兵と、御所を守る薩摩藩兵・会津藩兵との間で激しい戦闘が発生しました。

禁門の変そのものは1日で終結したのですが、戦闘後に発生した火事がどんどん広がり、数日にわたって京都市中の広い範囲を焼け尽くしてしまったのです。

京都御苑(蛤御門)

この大火は、「どんどん焼け」とも呼ばれます。

「どんどん焼け」は東本願寺にも及び、東本願寺はその伽藍のほとんどを焼失してしまいました。

なお、京都御所(京都御苑)と東本願寺は、直線距離でも3km以上。地図で見てもかなり離れていることがわかります。

こんな遠くの東本願寺まで焼け落ちたという事実からも、「どんどん焼け」によって当時の京都が被った被害の甚大さがわかります。


<明治時代の再建>

幕末の「どんどん焼け」によって主要な建物のほとんどを失った東本願寺ですが、明治時代に入って再建が開始されます。

なお、東本願寺は、浄土真宗の中でも、西本願寺と並んで門徒数が多い宗派。そのため、重要な法要を行うときなどに、大勢の門徒を収容できる大きなお堂を建てる必要がありました。

しかし、木造で大きな建築物を造るのは、技術が発達した現在でもなかなか難しく、明治時代ではなおさらのこと。特に巨大な御影堂の再建は困難を極めました。

建築自体はもちろんのこと、その前の木材の調達・運搬も含めてなかなかの難工事だったようです。

御影堂の再建は、起工から落成まで15年もの歳月を要しています。

東本願寺境内(御影堂)

<現在の東本願寺の見どころ>

では、次に、東本願寺の境内について、主な見どころとともにご紹介しましょう。

東本願寺の主要門は、東に向いた御影堂門(ごえいどうもん)と阿弥陀堂門(あみだどうもん)。

これらの門をくぐった先の広々とした境内には、御影堂(ごえいどう)と阿弥陀堂(あみだどう)という2つの巨大なお堂が左右に並びます。


(御影堂門・阿弥陀堂門)

御影堂門は、御影堂の正面に立つ大きな二重門。1911年(明治44年)の建築。

高さ約27mの巨大な門で、その大きさは知恩院の国宝三門をしのぎます。

上層の中央には、「真宗本廟」の扁額がかけられています。

御影堂門

一方、阿弥陀堂門は、阿弥陀堂の正面、御影堂門の左横にあります。

こちらは御影堂門と比べるとかなり小さいです。また、大きさだけでなく形や意匠もかなり異なります。

屋根の正面に、湾曲形状の「唐破風」が載せられています。いわゆる「向唐門」です。

阿弥陀堂門

(御影堂・阿弥陀堂)

東本願寺の広い境内の中央に、左右に並ぶ2つの大きなお堂。右が御影堂で、左が阿弥陀堂です。

なお、西本願寺にも、「御影堂」と「阿弥陀堂」という同じ名前の2つのお堂が左右に並んでいますが、東本願寺とは配置が逆で、西本願寺では、左が御影堂で右が阿弥陀堂です。

御影堂は、宗祖親鸞聖人の御影が安置されたお堂で、東本願寺の中で最も重要な建物です。

1895年(明治28年)の再建。入母屋造、本瓦葺き。左右に大きく広がる大小二層の屋根が特徴的な、和様の建物です。

西本願寺の御影堂よりもさらに大きく、建築面積において世界最大の木造建築物と言われています。

また、その屋根の上に置かれた瓦の数は、なんと17万5千枚。

これだけの瓦の重さを支えるために、太い柱や梁がふんだんに使われた、とてもがっしりとした造りとなっています。

御影堂

阿弥陀堂は、東本願寺の本尊、阿弥陀如来像を安置するお堂です。御影堂と同時期に起工、再建されました。

この阿弥陀堂は、一般的な寺院のお堂と比べればかなり大きいのですが、隣の御影堂が大きすぎて、これと比べるとかなり小ぶりに見えます。

近年、大規模な改修が行われていましたが2015年に完了しました。

和様の御影堂に対して、阿弥陀堂には禅宗様の建築様式が一部取り入れられています。また、入母屋造、本瓦葺きは同じですが、屋根は単層です。

そのため、隣の御影堂とは雰囲気がかなり異なります。ちょっと離れた位置から眺めて2つの大きなお堂を見比べてみてくださいね。

阿弥陀堂

(参考出典:東本願寺ホームページ

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スポット情報

<東本願寺>

住所 京都市下京区堀川通花屋町下ル
最寄り駅 (JR・近鉄・地下鉄)京都駅から徒歩7分
(地下鉄)五条駅から徒歩5分
拝観料 無料(境内拝観自由)
拝観時間 (3月~10月)午前5時50分~午後5時30分
(11月~2月)午前6時20分~午後4時30分
ホームページ 東本願寺

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