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千本釈迦堂 兵乱繰り返される京で奇跡的に焼失を免れた、洛中最古の仏堂

散策コース:京都(6))

京都、千本今出川交差点の北西、北野天満宮からもほど近い場所に、千本釈迦堂というお寺があります。

正式名称は「大報恩寺」といい、東山七条の智積院(ちしゃくいん)を本山とする真言宗智山派のお寺です。

通称の「千本釈迦堂」の「釈迦」はこのお寺のご本尊、釈迦如来から来ていますが、「千本」の由来については、千本通りの近くにあることや、千本の桜があったことなど諸説あります。


この千本釈迦堂の創建は、鎌倉時代初期、1221年(承久3年)です。

なお、この承久3年には「承久の乱」が起こっています。

後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げるも幕府軍に圧倒されて上皇は隠岐に配流。京都朝廷が武家政権に惨敗した年です。


応仁の乱の被害も免れた、洛中最古の仏堂

「おかめ伝説」発祥の地

「六観音」と「十大弟子」がずらりと並ぶ霊宝殿

その他の境内見どころ


千本釈迦堂(大報恩寺)

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応仁の乱の被害も免れた、洛中最古の仏堂

さて、南側の門をくぐって千本釈迦堂の境内に入ると、その正面に、境内中央の松の木やしだれ桜の背後に見え隠れする大きなお堂が現れます。

これが千本釈迦堂の本堂です。

この本堂は、鎌倉時代、寺院創建から間もない1227年の建てられました。

800年を経た今も残るこの本堂は、洛中(昔の京域)で最古の仏堂であり、国宝に指定されています。

木々の間から見える本堂

ところで、京都市内は、太平洋戦争で米軍の大規模空襲を免れたこともあって、古い寺院が数多く残っています。

しかし、同じ条件の奈良と比べると、京都に残る建築物の年代は意外にも新しいのです。


現在、京都市内に残る寺院建築物の多くは、16世紀末の桃山時代から17世紀の江戸時代初期に建てられたもの。

京都に室町以前の建物が少ないのは、室町時代まで、この地が何度も戦乱の舞台となったことが大きな理由です。


例えば、室町時代には、有力守護の山名氏清らの反乱「明徳の乱」や、全国の守護大名が東西二分して洛中で争った「応仁の乱」など、大きな兵乱が京の市中で発生しました。

特に、10年間も続いた応仁の乱では、千本釈迦堂の東の地一帯(現在の西陣)に、山名宗全率いる西軍が陣取っていました。

当然、西陣周辺では東軍による焼き討ち、あるいは、失火などが発生したでしょうし、木造建築が多い当時は、建物に直接火をかけられなくとも、火の粉が風に乗って飛んでくるだけで火事になることもあったでしょう。

このような状況を考えれば、当時の洛中で、千本釈迦堂の大きな本堂が焼失を免れたのは奇跡のようにも思えます。

本堂

さて、現在の本堂ですが、過去に行われた大修理で多少の変更はされているものの、ほぼ創建当時の姿を残しています。

屋根は入母屋造り、正面五間、側面六間の大建築です。

正面左から見た本堂

この本堂は、鎌倉以前の伝統的な建築様式である和様建築の代表例です。

「亀腹」とも呼ばれる白い基礎の上に床が敷かれ、周囲には縁側が張り出し、柱は長押(なげし)と呼ばれる横材で連結されるなど、和様の特徴が随所に見られます。

また、外周の柱の間に壁はなく、代わりに蔀戸(しとみど)や開き戸などの建具が取り付けられた構造。平安時代の寝殿風の造りです。

なお、蔀戸とは、格子形状の跳ね上げ式の釣り戸のこと。上の長押からつり下げられていますよ。

正面右から見た本堂

縁側に上がって、本堂内部の拝観も可能です(拝観は有料)。

本堂内は、中央の内陣とその周囲の外陣に分かれており、内陣にはご本尊の釈迦如来像が安置されています。

ただし、このお釈迦さまは秘仏。普段は厨子の中に収められており、直接拝むことはできません。

本堂から眺める境内

「おかめ伝説」発祥の地

ところで、この本堂の建立に関しては、一人の棟梁とその妻おかめの逸話が残っています。

それは次のようなお話。


本堂建築という大仕事を任されたものの、大事な柱の1本を誤って短く切ってしまい、代わりの柱材も見つからず、どうしたものか困り果てていた棟梁。

その姿を見かねた妻のおかめが、「いっそ全ての柱を短くして、柱の上の斗組(軒を支える組物)で高さを調整すればよいのでは?」と助言し、夫の窮地を救います。

しかし、「夫が大仕事を成し遂げることができたのは、妻の助言のおかげ」と言われては、夫の恥になると考えたおかめは、上棟式を迎える前に自害してしまいました。

本堂の柱と斗組

今の感覚では、死なないといけないほどの恥なの?と疑問に思うかもしれませんが、名誉というものを重んじる昔のこと、このような話も普通に受け入れられたのかもしれませんね。

とにもかくにも、この伝承により、千本釈迦堂は「おかめ伝説」発祥の地としても知られています。

千本釈迦堂の境内の一角には、大きなおかめ像が置かれています。

ぽっちゃりした下ぶくれのお顔で、穏やかな笑顔。

このおかめさんのお顔を眺めていると、自然と気持ちも和んできます。


なお、毎年2月3日の節分の日には、おかめ福節分祭が催されます。

この日は、境内の本堂やおかめ像を中心に、狂言や豆まきなどさまざまな行事が行われます。

普段は静かな境内ですが、この日は大勢の参拝客で賑わいます。

おかめ像

「六観音」と「十大弟子」がずらりと並ぶ霊宝殿

千本釈迦堂には、寺院創建以来の数多くの貴重な寺宝が残されています。

これらの寺宝は宝物館である霊宝館で保管されており、いつでも拝観可能。

なお、霊宝館は本堂との共通拝観券で入館できます。


ここの寺宝には仏像が多いのですが、その中でも有名なのが、六観音像十大弟子像です。


六観音とは観音菩薩が変化した姿。

観音さまは、異なる姿で、仏教の六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)に迷う人々を救うとされています。

如意輪観音(天道)、准胝(じゅんでい)観音(人間道)、十一面観音(修羅道)、馬頭観音(畜生道)、千手観音(餓鬼道)、聖観音(地獄道)の六体。

六体の観音像がすべて揃っているのは大変珍しく、ほぼ同じ大きさの六体がずらりとならぶ様はなかなか壮観です。

なお、六体全てが国の重要文化財に指定されています。


一方の十大弟子は、仏教の宗祖、お釈迦さま(釈迦如来)に付き従った十人の高弟のこと。

上でご紹介した観音像はとは違い、こちらの像はそれぞれ人間感あふれ、仕草や表情も個性的です。

良好な状態で十体完存しており、こちらも全て国の重要文化財の指定を受けています。

霊宝殿

その他の境内みどころ

千本釈迦堂の境内には、上の本堂以外にも、歴史を感じさせるお堂が残されています。

本堂の拝観を終えたら、境内を気ままに散策しながら、これらのお堂にもお参りしてはいかがでしょう。


そのうちの1つが、北野経王堂願成就寺というお堂。

元は、室町時代の「明徳の乱」で敗死した山名氏清とその一族を供養するために建てられたもの。

当時は、三十三間堂よりもさらに大きな建物であったそう。

その大きなお堂を一旦解体し、部材の一部を使って縮小復元したのが、現在の北野経王堂願成就寺です。


北野経王堂願成就寺の向かいにあるのは、不動明王堂

ここには、山名氏清や山名宗全(応仁の乱の西軍総帥)の念持仏であった、不動明王像が祀られています。

また、先にもご紹介したおかめ像も境内にあります。こちらもお忘れなく。

北野経王堂願成就寺

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スポット情報

<千本釈迦堂(大報恩寺)>

住所 京都市上京区七本松通今出川上ル
最寄り駅 (京福電鉄)北野白梅町駅から徒歩12分
(地下鉄)今出川駅から徒歩25分
(JR)円町駅から徒歩25分
(バス利用)JR京都駅、地下鉄今出川駅、阪急大宮駅、京阪出町柳駅からバス乗車、上七見バス停下車徒歩数分
拝観時間 午前9時~午後5時(年中無休)
本堂・霊宝殿拝観料 大人600円 大高生500円 中学生以下400円
ホームページ 大報恩寺

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